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2015年12月24日 【全国賃貸住宅新聞に掲載されました】
全国賃貸住宅新聞に当社記事が掲載されました。
10周年を一区切りとし、今後の成長に向け社員一同努力してまいります。今後ともご支援よろしくお願いいたします。
掲載内容は以下の通りでございます。是非ご覧下さい。
『「10年間で、一番うれしかったのはこのビルに入った時かもしれないですね」。武蔵コーポレーションが本社を置く大宮ソニックシティ、見晴らしのよい21階の社長室で大谷社長が話す。大宮地域のランドマークといっていい同ビルに入居したのは、09年のこと。現在70名を超える(パート・アルバイト含む)社員数は当時まだ7名だった。「最初は断られたんです。でも、リーマンショックで他のテナントに退去が相次いで、運よく入居できた。社員採用が楽になったし、投資家向けには信用強化につながりました」。信用という武器を得て会社は順調に拡大。ビル担当者の心配をよそに5度の増床を繰り返し、今は地元企業で最大面積を占めるテナントとなった。信用の貯金が成長の糧となっている。
さいたま市を中心とした北関東の賃貸住宅を販売する同社を大谷社長が設立したのは05年。三井不動産を辞め、たった1人の船出だった。扱う物件は平均8000万円、高くても数億円で対象は個人の投資家だ。前職では「こんな小さな額は扱ったこともなかった」という手探りの状態だったが、不動産投資ブームにも乗り、開業医や上場企業勤務者など属性の良い不動産投資初心者によく売れた。「都内の物件は高過ぎて、手が出ない。福岡や札幌だと、遠すぎて東京の投資家には信用できない。自分で確かめられる北関東の距離感が支持されました」
競合他社との決定的な違いになったのは緻密な賃貸管理だ。5年ほど前に部門を設立し、入居者対応が賃貸経営でいかに重要なのかが認識できたという。物件を仕入れ、リフォームして投資家に売るまでの6~12ヶ月間は自社で管理・保有することにし「その間に滞納者やマナーの悪い入居者には退去してもらいます。長く持てば、建物の傷んだ箇所もよく分かる」自社で運用して問題なかったという信用から2棟目、3棟目と続けて購入する投資家も増えた。販売は安定し、今期の売上目標は年内で達成する予定だ。年明けから8月まで、「1棟も売らなくてよい」と社員に指示しているというから、いかに猛烈な売れ方をしているかが分かる。
今では、販売物件以外にも管理の提案を広げ、わずか5年で管理戸数は6000戸に到達。売買仲介に匹敵するほどの利益をもたらしている。これを一刻もはやく1万戸台までのせるのが、目下の課題だ。「あと10年で1万戸以上の管理会社しか生き残れなくなり、賃貸業界に再編の時代がくる」と大谷社長の危機感は強い。戸数が少なければ、仲介店やリフォーム会社などに対する影響力が弱くなる。「管理戸数1万戸を超えれば中小管理会社の売却先として、必ず名前が上がる。早く、埼玉県下でトップ3に食い込みたい」と、更なる信用強化のため18年の東証マザーズ上場と、全国展開を視野に拡大に続ける。
ピンチもあった。12年の年末から、退職者が相次いだ。理由を尋ねても「会社が嫌だから」と異口同音に答える。思い当たる節はあった。社員とのクッション役を担っていた米本由佳総務部長が産休に入り、社内はゆとりを失っていたからだ。わずか5ヶ月で8名の離職者を生み、20名ほどの社員が半分近くになった。「社員の幸せを考えるきっかけになった」と振り返る。
人でつまずき、人で救われるのが経営だ。今月10日に行った設立10周年パーティーには全国から異例の500名が駆けつけた。来場者全員に、忙しく声をかけて回る大谷社長。そのポーカーフェイスが緩んだ場面が、この日のハイライトになる。パーティーの最後、同社2人目の社員としてこれまで伴走してきた太田大作常務の挨拶の時だ。未経験で大谷社長のもとに飛び込み、20人ほどの会合でも緊張していたかつての姿はなかった。壇上にいる全社員を代表した太田常務の成長に大谷社長はこみあげてくる涙を抑えるのに必死だった。「10年間で、一番うれしいのは、やっぱり今日ですね」冷静な頭脳と、熱い心が人を引き付ける。信用の源泉はここにある。』
平成27年12月24日 全国賃貸住宅新聞